流行にのってみたいと思います。


▼死にやすい社会

「自らの意思で死ぬことが容易な社会」

そういうものがあったらを想像してみたいと思います。



▼それはどういう社会か?

仮にそういう社会があったとして、
それはいったいどういう社会になるのでしょう。

自分の想像だけではとても突き詰められる気がしません。

難儀な疑問ではありますが
みなさんの想像力に頼りたいと思います。

どんなことになるんでしょうねぇ。

コメント

通りすがりのゴブナイト
2014年11月22日13:14

よく分からんのですが、死ぬことが容易だからといって大して変わらないと思いますね。
普通は死にたくはないわけですし。

ちなみに私は一回死にかけたことありますが、その時思ったのは恐怖よりも悔しさですね。
この程度しか生きてないのに終わるとかふざけんなよって感じの。
確か26くらいの頃だったかと思います。

listener
2014年11月22日13:58

>死ぬことが容易だからといって大して変わらない
ふむ。ボクも実はそう思う部分が強いです。
今だってそんなに難しいわけではないです。
われわれが難しくしているだけなので。

>恐怖よりも悔しさ
>この程度しか生きてないのに終わるとかふざけんなよって感じの。
ボクも含めて多くの健常な人は
漠然とですが「まだまだ生きられる」と思ってます。まだまだ。
そこにいざ死をつきつけられてときには
あるはずだった「生を奪われた」悔しさが沸いてくるということか。

漠然とした不安だったときは「恐れ」
厳然と眼前にせまるときは「悔しさ」

勉強になります。

nophoto
通りすがり
2014年11月22日14:11

今の時代、自ら死ぬ事は切羽詰まった時の非推奨的な最終手段として捉えられてますけど、もし死を望んだ瞬間に楽にコロッと逝ける社会になれば、自ら死ぬ人も増えるとは思います。

その場合の社会の道徳基準、つまり意志に基づく死を容認する価値観はその社会を生きる人間に大きな影響を与えるでしょうし。

後、宗教的な価値観や人生観にも左右されるでしょうね。死んだら無になる、故に自分の生命は自分の所有物なのだという唯物的な価値観ならば、苦しい現状を打破する為に死を選ぶこともあるでしょう

逆に生命は神からの贈り物であると考える価値観に基づけば、自死は思いとどまるでしょうね

listener
2014年11月22日14:18

「意志に基づく死を容認する価値観」

「生命は自分の所有物なのだという唯物的な価値観」

「生命は神からの贈り物であると考える価値観」

大きな道しるべを立てていただきありがとうございます。
われわれはどこへ行くのでしょうね。

ジオン軍
2014年11月22日23:47

ズルゴ「門を侵犯だー!」

剃刀の豚「やあ」

小手先
2014年11月23日1:53

自らの意志で死ぬことが容易な世界はとは、誰かが人が死んだ方が得する世界になります。
誰が得するか、なんの利があるかが答えになるとおもうんですが、
設問の世界を考えるためになぜ今こちら側の世界で一般的に自死が推奨されてないかを考えることとなります。


死ぬ方は前世の記憶が確実に引き継がれる強くてニューゲームな世界。
結果、植物であるくらい縛りがキツくないと絶対数がなりたたないであろうなと考えます。
式と答えの一部をすっ飛ばしてw

listener
2014年11月23日3:14

死が誰かの得になる

これもわからない話ではありません。
いやむしろ一番重要視されている点かもしれません。

是非を論じるときに、特に反対の立場は
損得と死が結びつくことを多いに危惧しますから。
なぜ推奨されないかと直結します。

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