より高い信念という名の下、
どれだけ安易に私たちは暴力を正当化してしまうようになるのか。

どの偉大な宗教も、愛や平和、正義への道を約束します。

にもかかわらず、信仰こそ殺人許可証であると主張する
信者たちから免れられないのです。

国家は犠牲と協力で人々が団結するストーリーをこしらえ、
優れた功績を認めるようになります。

しかし、自分たちとは違う人々を抑圧し、人間性を奪うため、
こうしたものと同様のストーリーが頻繁に利用されたのです。

コメント

fu-yo-yu
2018年6月20日21:22

暴れる理由、儲ける理由の大義名分に人の弱みを救うための宗教を使うんじゃないと、願い祈っておりますが、いつになったら叶いますかねぇ。

願い祈るだけでは足りないのですかね。

少し酔っております。コメント、失礼いたしました。

listener
2018年6月20日21:40

酔っているからこそ言葉に表せることもあります!
それが義憤であるならこのブログとしても歓迎です。

>暴れる理由、儲ける理由の大義名分に人の弱みを救うための宗教を使うんじゃない

人を救うためにある宗教が
「暴れる理由、儲ける理由」として使われる
それこそ世界中で!何千年経っても!
愚かなことですよね。

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